先日、大学時代にお世話になった大家さんの旦那さんが亡くなったので、手を合わせに車で片道4時間ほどかけて出かけてきた。
行って色々な話をしてきましたが、帰ってきてからふと思ったことがあったので自分自身に対する問いかけの意味も込めて書いていきます。
大学のアパートは大家さんの自宅の隣
わたしが大学で暮らしていたアパートは大家さんのご自宅の隣にありました。
そのため、今ではあまりないかもしれませんが常に大家さんと顔を合わせて挨拶してという生活で大家さんとはものすごく近い関係です。
わたしが大学に入ったときは、そこにすでに住んでいた方全員と大家さんの家で食事会が行われたりしたし、季節ごとの果物など頂いたり、病気の時は面倒を見ていただいたりと大変お世話になりました。
今ではそのようなアパートは皆無かもしれませんが、わたしにとっては貴重な時間だったなとこの歳になってだんだん感じるようになっています。
やっと手を合わせに行くことができた
大家さんの旦那さんが亡くなって半年近くたってしまいましたが、やっと手を合わせに行くことができました。
ずっと仕事に追われていて、前日も一人だけ遅くまで残って残業をして体力的にも精神的にも辛い状況でしたが、朝から日帰りで出かけてきました。
道中は、嫁さんがわたしと違う感覚で流れる風景を見ていることに驚きながら、体力的にはちょっと辛いけど精神的に癒される時間をすごくことができ、大家さんの家に着くと、奥さんが笑顔で迎えてくれました。
まずは遺影の前で手を合わせて、体調が悪くなり入院して1種間ほどでなくなったことなど話を聞き、その後しばらくは懐かしい話やら大家さんの思い出やわたしがあったことがないアパートに住んでいた人の話などあっという間に時間は過ぎていきます。
ちょっといろいろきつかったのですが、無理していってよかったと本当に感じています。
いつ死んでも、後悔が無いように過ごしているか
88歳という高齢ということもありますが、ものすごく元気だったのに急に具合が悪くなってなくなったという話を聞いていて、よくネットビジネスのメンターに言われていること思い出しました。
ネットビジネスや心にかかわらずわたしのメンターは死ということに関して常に語ってきます。
人間いつ死ぬかわからない、交通事故かもしれないし病気かもしれない。今日が元気だから明日も元気という保証はどこにもない。しかしほとんどの人は自分にも関係ある「死」というものを結局は他人事と考えている。
そうではなくて、いつ死んでも後悔がないように常に全力で生き、すぐに成功して自分のやりたいことをどんどんやっていかなくてはいつまでたっても幸せな人生を送ることができない。
ここ最近は、仕事が忙しいと理想の人生を送るためにやるべきことが、全部後回しになっていた。嫁さんには、そんなに仕事頑張っても体壊して倒れたらどうにもならないよと言われながらも。
脳梗塞で意識を失い、自分は死ぬんだと一回は覚悟した自分でさえも「死」は他人事になっています。そしてまだ時間はあると思っています。
でも、近しい人の「死」と残された時間を楽しく生きようとしている奥さんとの話によって、
- 自分は自分自身の人生を送っているのか?
- 自分は明日死んだとしても後悔することがない人生を送っているのか?
と改めて考えてみると、全然できていないと言わざるを得ない状況だとはっきりと認識しました。
- もっと自分のために時間を作る工夫をしよう
- もっと幸せに生きるころについて真剣に考えよう
- もっと自分の将来を真剣に考えよう
- もっと自分の感情を受け止めてあげよう
- もっと自分を信じてあげよう
仕事の忙しさとストレスで忘れてしまっていた大切なことを遠くまで出かけたことによって改めて思い出させてもらえたました。
ただ大家さんに会いに行ったということ以上に、わたしにとっては改めていろいろなことを気づかせてもらった一日になりました。
少し遠い場所ではありますが、大家さんにまた会いに行って楽しい話をしたいと考えています。
質問や意見をお待ちしています。