先日、ある人から自分の性格について相談をされました。
しっかりとお返事をしたかったのですが、つながりが途切れてしまったためもやもやしています。
自分の性格が嫌いという人も結構多いくいるし、相談してくれた方が見てくれていたらと、ブログを書きます。
目次
性格変えて、明るく楽しく生きたい
お話を頂いた方は、周りの人から真面目と言われ、自分もその通りに生きてきたそうです。
でも、明るく楽しく生きたいから、そんな自分を変えたいと言うことでした。
真面目というと以前こんな記事を書いています。
この記事は、ネットビジネスの話として書いたので、真面目を活かせという締めくくりにしています。
でも、普通に生活していると、『真面目に見られる』というのは結構苦痛だったりします。
手を抜けないし、バカをやれないし、息が抜けない。
話す内容も、ものすごく考えてしまって、結局はタイミングを逃したりします。
人によっては、贅沢な悩みだとという人もいるでしょう。
でも周りの人から真面目な人という目で見られるのは、その本人にとっては結構苦痛だったりするものなのです。
そもそも性格はなにか?
詳しく話をする前に、”性格”とはどうものなのかを知らないといけません。
デジタル大辞泉の解説では、次のように書かれています
『行動のしかたに現れる、その人に固有の感情・意志の傾向』
他にもいろいろな説明がありますが、自分を変えようと考えている人にとっては、この解釈がいちばんいいと思います。
要するに、その人が普段どのような行動をしているかで”性格”決まるのです。
こういう行動をする人はこういう”性格”というラベルを、いろいろな人が相手にペタペタを貼っているに過ぎないとも言えます。
行動を見てのラベルなので、相手との関係性によっては、違うラベルが貼られる可能性もないわけではありません。
でも、人が無意識にする行動というものは、そう簡単に変わるものではありません。
だから、普段の行動を見ていれば、その人の性格がだいたい分かってしまいます。
あまり深くない関係の人同士でも、食事をしながら2時間ほども過ごせば、おおよその性格がわかってしまうものです。
性格はどのように作られるのか
大辞林 第三版の解説では次のよう”性格”について書かれています。
『その人が生まれつきもっている感情や意志などの傾向』
生まれつきなの?
それじゃあ、どうすることもできないの?という疑問がわいてきます。
もちろん、生まれたときから多少の個性はあるかもしれません。
でも、それよりも圧倒的に育った環境、周りの大人たちの影響で、人の”性格”は決まっていくと考えています。
ほぼ後天的に決まっているという考え方です。
わたしは、どんな人にも、人生を変える自由を持っていると考えているので。
では、人はどのように”性格”が形成されていくのかということです。
”性格”の形成は、小さい頃から始まります。
どんな子でも、小学校低学年までは、どんな人も同じように遊び、同じようにいたずらしています。
でも、その時の親の反応というものは、ものすごく違いがあります。
子供の行動の良し悪しを、自分の常識に照らし合わせて決めるからです。
だから、同じいたずらをしても、しっかりと子供の目を見て、説明をして終わる親もいれば、理不尽なまでに子供を叱りつける人もいます。
中には、親のストレス発散だろ、と思えるように怒る人もいます。
そして、この段階で親は子供に『性格というラベル』をつけ、子供を区分するようになります。
- 〇〇ちゃんはいい子だね
- 〇〇ちゃんは気が利くね
- 〇〇ちゃんは真面目だね
- この子は、お兄ちゃんと比べて、ダメだね
- どうして、〇〇は言うことを聞かないの
- この子は、勉強ができなくて
etc
大人は子供の気持ちなどはお構いなしに、自分の感情で子供を区分けしていきます。
さらに、学校に行くようになると、先生という大人も加わってきます。
そうすると、子供は親に決められた”性格”を通りの行動をどんどんしていくようになります。
”性格”は明らかに”洗脳”と呼べるもので、出来上がるのです。
特に『真面目』という性格は、どこに行っても大人に喜んで受け入れてもらえる性格であるので、子供としてはそこから抜け出すことができません。
なぜなら『真面目』をやめたら、親から捨てられると感じるからです。
そうやって、どんどん性格を体現するような行動をするようになっていき、誰からも『真面目』というラベルを貼られて人生を送っていきます。
そして、自分では変えたくても変えることができない、と思い込んでいる性格が完成します。
もちろん、長い人生のなかには、自分の考えを一変させるような出来事も起こるので、性格が大きく変わる可能性があります。
でも、それはあくまでもきっかけであり、最終的に自分の性格を固定するのは、周りの目と自分の思い込みなのです。
どんな人でも必ず性格の悩みがある
”性格”の悩みというのは、どんな人でも必ずあります。
短気だとか、すぐ怒るとか、いい加減とか、マイナスなイメージの性格の場合、悩みむのは誰にでも分かると思います。
でも、一般的に良いイメージのある『真面目』、『優しい』、『気が利くなど』の性格の悩みも深いものがあります。
なぜなら、これらのプラスイメージの性格というのは、周りの人から期待されているというプレッシャーと、自分自身の気持ちを表現することは悪いことだという恐怖感がつきまとうからです。
今回、相談してくれた方は
「真面目に生きないといけない状況だった」と言っていました。
要するに、自分の中で真面目という性格を演じなくてはいけない状態になっているにも関わらず、それをやめることができなかったということです。
優しい性格の人は、自分が困っても優しい人であり続ける苦しさを感じています。
気が利く人は、どんなに自分が切羽詰まっていても、気を利かせなくてはならないとプレッシャーを感じているのです。
わたしは、『真面目だね』『優しいんだね』『気が利く人だね』というのを、かなり言われました。
大学生から社会人になってしばらくは、この3つが重なって、他人の期待を裏切らないということだけを考えて行動していました。
どうして、自分の性格で悩むのか?
どうして自分自身の性格のことなのに、こんなに悩まなくてはいけないのかと常に思っていました。
でもそれは、ある意味当たり前のことであるし、悩んでいる人が正常だと考えています。
自分の性格で悩まない人のほうが、危険なのではと感じています。
そもそも、”性格”というラベルは他人によって付けられたものであり、自分で決めたものではありません。
”性格”というのは、他人がラベルをつけることによって明らかになるのであって、自分で発見するものでもありません。
昔、自分の性格の良さをアピールする人に出会ったのですが、周りの人はしらけているというのが印象的でした。
周りの人は普段の行動から本性を知っているということです。
要するに、『本人が感じている本当の自分』と『周りの人が見ている自分』に、常に大きな差があるということです。
また人は年齢を重ねてたくさんの経験をすれば、普通は変わっていくものです。
自分自身の成長というのを、最も実感できるているのは。もちろん自分です。
そして、成長によって自分の性格の変化も感じ取ることができます。
でも、長年の付き合いがある周りの人は、頭の中のイメージを通して他人を見ていて、いつまでも変わらないあなたを見ていることになっています。
おじいちゃんやおばあちゃんが、孫がどんなに大きくなっても、『小さい頃から変わらないねー』というのは、本人をちゃんと見ていないからです。
これは、脳の構造上仕方がないことではありますが、自分の”性格”で悩んでいる人にとっては、かなり辛いことです。
わたしは、いい年になっても祖母から『〇〇は小さい頃からずっといい子だね』と言われてました。
そこでは笑っていましたが、正直『そんなことはない』と常に言っている自分が心の奥にいました。
このように、周りの人間関係がある程度の長さになってくると、自分は『わたしの性格は変わった』、周りは『昔から性格は変わらない』という”性格”に関する認識の乖離が大きくなってきます。
そして、本当の自分は違うのにどうしたらいいのか、分からなくなってくるのです。
わたしは、この状態を嫁さんに対して経験していますが、非常にイライラします。
どうして分からない、どうして変わった自分を認めてくれない、と怒りがわいてきます。
そうなったときほとんどの人は、この不安定な状態に耐えきれず、変わることをやめ悶々として生きていくことを選ぶのです。
なぜ、人は性格を変えることができないのか?
人間である以上仕方がないのですが、自分の性格を自分の力で変えようとすると、かなりの恐怖が伴います。
それが、他人によってラベル付けされ、自分がどんなに嫌だと思っている性格であったとしても。
恐怖を感じる理由は、単純です。
『今の性格だから、今の現実が成り立っている』という、揺るぎようがない事実があるから。
今の性格の自分だから、今の現実の世界が存在するのであって、もし今の性格でなくなったら、今の現実はなくなってしまうのではないかという不安。
そして、今の自分の性格を否定するということは、今の自分自身を否定することになると考えて、恐怖を感じるのです。
もちろん、性格が変わったって、自分自身は存在し続けるわけですし、自分自身が否定されるわけではありません。
でも、人間をやっている限り、この恐怖をなくすことはできません。
この恐怖は、乗り越えたあと振り返ってみると、大したことないなと思えるのですが、いちばん最初は乗り越えるときは、かなり大変です。
恐怖を乗り越えたあとの現実がどうなるのか、全く予想できないからです。
そのため、ほとんどの人が今の現実をそのまま続けることを選択するのです。
これは、性格を変えることだけでなく、どんなことでも当てはまります。
性格を変える方法はいくつか存在する
まあ、いろいろと難関はあるのですが、性格を変える方法はいろいろあります。
それこそ、今の性格を演じているという実感がある人であるならば、違う性格を演じてみるのがいちばん簡単です。
また最近は市民権を得たコスプレなんかも、全く違う人になるということで、違う性格を演じるということができるかもしれません。
まあ、コスプレをしたまま社会生活を送れる人は、ごくわずかだと思いますが。
普通は時間はかかりますが、”性格”を決定付けている行動習慣を変えるのが一般的です。
でも、そのためには、まずは自分の持っている常識というものを知る必要があります。
常識の力というのはものすごくて、ちょっとでも変えることができれば、思考習慣が大きく変わり、行動習慣も楽に変わっていきます。
そのかわり、自分の常識を変えないと、本当にいつまでたっても現実は変わっていきません。
人間関係だけは再構築が必要
ただし、どんな方法を選択するにしても、一つだけ絶対に言えることがあります。
人間関係を全く変えることなく、自分の性格を変えるのはほとんど不可能だということ。
なぜなら、あなたの性格は『真面目です』と信じて疑わない人たちの前で、どんなことをやっても無駄な努力だからです。
環境の力は、強力なので個人の意志の力だけではどうすることもできません。
今までの付き合いのある人達に対して、急に全く違う接し方をすることができる人が、どれだけいるでしょうか?
それに、『真面目』でずっと生きてきた人が、違う性格になったと言っても、笑われておしまいです。
だから、本気で性格を変えたいと思うのであれば、新しい人間関係を気づく必要があります。
しかも、趣味とかの集まりではなく、真剣に自分を変えようと何かを目指して全員が頑張っている人たちとの関係です。
例えば、本気で人生を変えようと、努力している人たちとか、ネットビジネスで成功しようとしている人たちです。
そういう人たちは、人が変化していくことに、ものすごく協力的です。
そのため、変に罪悪感を持つことなく、性格を変えることができます。
性格を変えるのにインターネットを活用する
今なら、インターネットを活用する方法が超オススメです。
例え、今までとは全く違う人間関係が始まったとしても、”性格”を決定している行動習慣というものは、そんな簡単には変わりません。
どれだけ、相手が変化に寛容であっても、実際に会っていると『この人はこういう性格』というものが、人間関係の中にできてきます。
しかし、インターネットは基本的に相手に対して、自分の行動習慣、仕草、話し方の一切がわかりません。
”性格”を決定している、行動習慣が相手にほとんど伝わらないのがおおきなメリットになるのです。
ということは、インターネット上の世界でのあなたの性格を決めるのは、ブログであれば文章だけになります。
しかも、しゃべると無意識の部分がかなり発生してしまいますが、文章の内容は意識的にコントロールすることが可能です。
そのため、インターネット上、特にブログ上では、在りたい自分をしっかりと設定すれば、自分が理想とする人格を作り出すことが比較的簡単に作ることが可能です。
あくまでも、『成りたい自分』ではなく、『在りたい自分』です。
『在りたい自分』とは、思考と行動に関する理想の自分と考えてみてください。
結果をつかみたいのが『成りたい』、人間性をつかみたいが『在りたい』
『成りたい自分』をブログで書くと、本当にウソになってしまうので、途中で疲れて嫌になってしまいます。
SNSとかで、無理矢理にブランディングしている人は、ウソで『成りたい自分』を作っているため、最終的にはおかしくなります。
そして、インターネット上に新しい自分の人格が出来上がると、現実世界に対して、大きな影響を持つようになってきます。
どうしてかと言うと、インターネット上にブログだけの発信であっても、そこに人格を作るとなると、その人格を作っている、思考習慣を構築する必要があります。
さらに、その思考習慣というものを、普段の生活でも維持していないと、ブログを書き続けることもできません。
インターネット上の人格で、ブログを書き続けていくためには、経験というものが必要と絶対に必要になってくるからです。
例えば、真面目な性格ではなく、自分の考えをしっかり言えて明るい性格になりたいと、ブログを立ち上げるとします。
でもそこに『明るい性格とはこういうことを言って、こういう場合はこのように考えるようです』という文章だけを書いても意味がないのです。
『それを実際に、わたしが確かめてみたらこうでした』と書いて、初めてブログに人格が出来上がります。
だから現実世界で、意識的に違う性格の思考をして、行動しなくてはならないのです。
わたしはこの半年ほどは、このブログを使って自分が『問題だと思っている性格』を変えてきました。
三日坊主、すぐ他人を批判してしまう、どんどんネガティブになる、かなりアバウトに物事を考えるなど。
嫁さんからも変わったと言われ、今までは違う視点で、わたしを見てくれるようになりました。
そして、このブログは、基本的には自分の経験を元に書いています。
でも記事で書いている、思考パターンとか行動パターン、意見、考え方の一部には、今は違うけれど『こういう自分で在りたい』というものが必ず含まれています。
その他にも、自分が今大切に思っている、思考パターンや行動パターンを再認識し強化する言葉も入っています。
実際にできていないけど、できるように成りたいことが、少しずつ書いているのです。
なぜそんなことをしているのかというと、できていないことをやらざるを得ない状況を作るためです。
やらなければ、このブログの人格を維持していくことができず、自分が継続して書いていくのに困るから、やるしかないのです。
また、新しい知識も、自分なりに考えてブログにアウトプットするので、理解力が全く変わってきます。
今のわたしは、まずはこのブログで、自分の望む人生と在り方を決めてしまう。
そして、このブログの人格を維持するために、現実世界で実際に行動して経験するというパターンを作っています。
これって、現実世界だけではできない、人生を変える裏技みたいなものです。
インターネットは、ただお金を稼ぐ、ただ自分の言いたいことを書くだけではないのです。
うまく使えば、性格も、いや、人生も変えることができるツールだということに気がつくべきです。
あとは性格を変えるときの恐怖を乗り越えるだけ
いろいろと性格を変えるヒントみたいなものを書いてきました。
でも、いくらこの内容を知ったからと言っても、最大の試練の乗り越えなくては使えません。
それが、恐怖を乗り越えることです。
この恐怖は、乗り越える以外に方法がありません。
なぜなら、”自我”が自分自身の存在がなくなってしまうと感じる恐怖だからです。
自分が自分自身でなくなるかもしれないという恐怖です。
根本的に、人間は変化に対しては、恐怖しか感じないのです。
今回、『真面目な性格』を変えたいという話でしたが、基本的に真面目な人は、真面目でなくなることに対して、ものすごく恐怖があります。
真面目でなくてもいいと頭で理解していても、日常の生活では恐怖を感じるのです。
わたしも以前は、真面目という性格で悩んだときもありますが、今は真面目って、かなりメリットが大きいじゃんと感じています。
だから、それ以外自分を変えるように努力しています。
特に、嫁さんに厳しく指摘をされるところです。
でも、それは恐怖を乗り越えたから言えるだけであって、相談をしてくれた方がそう思えるかどうかはわかりません。
でもハッキリとしていることは、自分で変わると決めない限りは、いつまでも悩み続けるということです。
よく、性格は簡単に変えることができるかのように、書いてあるブログを見かけます。
テクニックを駆使すれば、苦しむことなく自分の嫌いな性格とさよならできるみたいな感じで。
でも、それはウソです。
何十年も、自分の現実を作り続けてきた性格が、簡単なテクニックで変えることができるわけがありません。
性格を変えるというのは、自分の現実を変える、と同義なのです。
それなのに、仕事のときの性格、恋人といるときの性格、とかなんて上辺だけのことをやっていたら、結局は悩みが深くなって苦しむだけです。
それに、カメレオン状態の人は信用をなくします。
最後、厳し目のことを書きましたが、その上でもう一つ、冷静に考えてみてほしいことがあります。
- 今のあなたが苦しいのは、本当に性格が問題ですか?。
- 性格の問題にすることによって、何かから逃げていませんか?
多くの人は、人生がうまくいかない理由に『自分の性格』をあげますが、わたしが経験してきて感じたことは、”性格”が問題の根本ではないということです。
まあ、今のあなたのままで、現実を変える方法はたくさんあるということです。
最後に、相談者の方が『明るく楽しく』生きることができるようになれることを願っています。
質問や意見をお待ちしています。